2015年6月2日火曜日

Blackberry iPhone

iPhoneがデビューした時にBlackBerryの最高責任者が何を感じたかという記事。
Gizmodo
当時は確かにビジネス分野で独壇場でしたねえ。
私はモトローラのM1000でした。
決定的に違うのはM1000の拡張性です。
SymbianOSがそれを可能にした訳です。
iPhoneはそれプラスMacとの連携デバイス。
確かにこの記事にあるようにSafariを載せたこともけっていてきでした。
M1000でもブラウザはまだまだでしたからね。
Blackberryに至ってはクローズドでセキュリティを確保した携帯送受信機。

この記事ではBlackberryはビジネス市場は犯されないとのんびりだったようですね。
この辺はiPodとウォークマンに似ている。
音質が劣るiPodにソニーは楽観していたと思いますね。
Appleは完成度を高めて基本的な質しか始めは出さない。
しかし、そのバックボーンがMacだったわけです。
常に端末としての機能しか持たせなかった。
持たせなかったというより持たせることができなかった。
通信速度や貧相な処理能力チップだった訳でこれを割り切ること。
あるいは母艦との連携で相互ユーザ確保。
まあ、それが利点というより、本質だった。
母艦性能を完全に取り込む手法はかなり計画的だったと思います。
考えてみればデジタル音楽、アプリケーションの全てを管理出来ることになった。
これほど上手くいくとは思っていなかったでしょうけどMacの利用度をあげる課題。
Macだけでは行き詰まる確証があったと思います。
Appleコンピュータという社名をAppleに変えたあたりです。
2007年ですがその当時、iPhoneが売れることに確証が持てたということです。
Appleはハードとソフトを一緒に売るコンピュータ会社でしたから、全ての商品についてその思想の延長にあった。
iPhoneで生まれる全ての需要を賄うのはAppleという構図がiPodで構築済みだった。
計画と偶然がかさなり幸運にもすべてが成功へ繋がったのは何故。
大きいのはスティーブジョブズの頭の中にあったかもしれません。
それは最高のものを作るというある意味で完璧主義者だったこと。
妥協をしないことは偶然ではない。

さてさて、スティーブがなくなった今を想像できた方は少ない。
少なくてもAppleの業績は鈍化する程度に考える評論だった。
確かに、2年ほど静かで動きが止まったような状況だったがiPhoneが売れ続けた。
2年も他社は越えることが出来なかったのはAndroidOSに頼っていたからだろう。
AppleはOSは何をするかが前提で作られるのではないだろうか。
しかし、AndroidOSは宛てがいブチだから想定内でしか製品は作れない。
作れても非常に不便、不細工なことになる。
アプリケーションは作れるがそのアプリを導入するプロセスすら規定できない。
ここに秘密があるような気がする。
AppleはiTunesStoreでしかすべての導入が不可能ということは管理を掌握している。
これは決定的でそこで得る動向は計り知れない。
つまり、ニーズが確証されている。
何をしても成功する秘密はこれだろう。
しかも、脱獄という部分もある程度許容していてその動向すら察知していた。
完成度を高めたiOSは脱獄をじょじょに排除、あるいは不要のものにしている。
これはMacOSでオープンにした機能拡張をOSに取り込んだ手法そのもの。
皮肉にもそれらはAppleの人気を高めている。
クローズドにして完璧を目指すのは大変な作業で世界中の知恵が必要だと知っていた。
これがBlackberryが破れた大きな原因に違いない。

0 件のコメント:

コメントを投稿