2014年1月25日土曜日

薩埵峠 東海道広重美術館

広重の東海道53次 由井の浮世絵を観ているうちに急遽、薩埵峠へ行くことに。
どうもあの富士と海、峠越えが痺れる。
 大昔、3歳くらいだったと思いますが蒸気機関車で由比に行きました。
祖父、祖母の実家の葬式だったと思います。
記憶では家の前に東海道、松林、海という配置。
家の後ろは山。
多分、農家だったと思いますが農地なんてどこだったんだろう。
そんな、特殊な地形でした。
海はどんよりと波荒くとても海水浴など出来ない岩がゴロゴロしてる。
東海道ったってタダの未舗装道路でクルマが通っている記憶もなし。
それ以来です。
去年、由比本陣は旅行で寄りましたから近くまで来ていた訳です。

朝、8時すぎに出発。
東名御殿場から新東名へ初乗り。
素晴らしい道路です。
全くのつるつる平坦で揺れない。
クルマもほとんどなし。
あっという間に新清水ICでした。
そこから身延線に沿って身延道52号線で興津方面へ。
ココから予想外で国道一号線を由比方面へ左折し150M位で脇道に分岐。
そこで地元の人にお尋ねしたら橋を渡って岩城人形を左折と教えて頂いた。
あとは「薩埵峠→」看板を頼りに右往左往したらお墓で行き止まり。
駐車場らしき所へ停めました。
目の前にトイレと休憩所。
この看板はどうやら老人遠足会の為らしい。
丁度、休憩所におひとりいらっしゃいましたのでお尋ね申しました。
この墓を縦断して山を登るんだそうです。
おいおい、調べたら駐車場からすぐってあったぞ。
お伺いをしたらそれは由比方向からくれば駐車場があるとのこと。
興津側はここまでですよとお返事。
でもこっちからの方が楽ですよとのお言葉に励まされ山登り。
私の足下はクロックスサンダル。

墓の入口には杖が一杯置いてありました。
この杖を一本借りて急な山道をアトムの手綱を引きながらというか引かれながら登りました。
まるではしご段のような傾斜45度以上かと思われる坂道に桜が咲いているぞ。
すごい日当りのいいところです。
もう暑いのなんの汗だく。
左側は絶壁ですから高所恐怖症の私は足が震える。
しかもアトムは柵の下を覗き込んだりしちゃってヤバい。
どこまでも続く恐怖ってのはいやなもんです。
杖は邪魔だったなあなどと思いながらシャッターを切る振りをして休憩。

この桜の木は何なんだろう。
梅じゃないよなあ。
山側はミカンです。

あらら、もう着いちゃったの。なんて拍子抜け。
あの急坂はなんなんだ。
とにかくここがそうらしい。
さきほどの道を尋ねた方はここに腰掛けてお茶していました。
そこで色々とお尋ね。
どうやら彼は富士市から見えられたようで興津から入り由比に下るそうです。
ちょうど昼時に降りてお食事をする腹だそうです。
冬は綺麗でいいですよなんて言ってます。
あなたはいい天気でラッキーとのこと。
思わずニヤニヤしているのが判る。
私は飲み物もなにも持っていないので一服して杖を棄てました。
ここからの景観。
絶景!
いやいや、素晴らしい富士がUFOみたい。
東海道と東名高速が眼下に駿河湾。
日本の景観ってのは手に取るように小さいのにダイナミックなレイアウト。
江戸時代の東海地震で2Mほど海岸が盛り上がった陸地のようです。
それまではこの絶壁から海だったのかなあ。
ここで帰るかなあと思いましたが先ほどの方があとは平坦なんで少し行くと展望台がありますよとのこと。
My奥様はドンドン行っちゃいました。
私も失礼してお先に。
なるほど、平坦というか小さな上下です。
途中、阿舎とベンチがあったりしました。
程なく展望台。
 ここですねえ。
縦長ポスターになる絵柄。
よく見る所ですよ。
東海道本線、国道一号線、東名自動車道が交差しまくり風景。

あとで訪れた広重美術館の外人さんのコラージュ。
 これは薩埵峠からで展望台からではないようです。
つまりこの景観が本来の姿のようです。
ということで展望台から戻ります。
阿舎で十人以上の方々が一休みしていました。
いい天気だし飲んだり食べたりしている。
下りは登りより楽々。
いやあ、人生下り坂なのかねえ。
このほうが性に合うなあ。
人間共が上から見下ろす絶景に登山する気持ちが少し判りました。
ですが、クルマで行けたらもっといいのにねえ。
薩埵峠って東京タワーの展望台程度なんだなあ。
展望台を足で登った訳だ。
東京タワーは日本人の1割以上が登っただろうけど薩埵峠は1%以下だろう。
満足だ。
入り口付近のお墓はほとんどが軍人さんの弔いでした。
お骨も無いから墓石は立派なんですよ。

さてクルマで由比本陣へと続きます。


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